アルツハイマー病

アルツハイマー病に対する新ワクチン療法の開発

アルツハイマー病は痴呆を主症状として中年以降発症する神経疾患です。我が国では、人口の高齢化に伴い患者数が急激に増加しています。病気を発症するとある時点からは通院不能になるばかりか、入院する上でも特別の介護が必要なことから、その治療法の開発は社会的に極めて重要なテーマであると言えます。

アルツハイマー病には老人斑の形成と神経原繊維変化の2つの大きな病理学的特徴があるということが良く知られていますが、近年この病気の本質は細胞外に分泌されたアミロイド・ベータ(Aβ)ペプチドが不溶化し凝集蓄積することであると考えられるようになってきました(アミロイド・カスケード仮説)。

この考えをもとに1999年画期的なAβペプチド・ワクチン療法がSchenkらにより提唱されました。彼らは、体外からAβペプチドを免疫賦活剤(アジュバンド)と共に投与し、体内に抗Aβ抗体の産生を増強すると、脳内のAβ蓄積が減少し、痴呆症状も改善することを動物モデルを用いて証明したのです。ワクチンによるAβ除去の機序として、

  1. 老人斑の中の凝集したAβに抗Aβ抗体が結合しFcレセプターを介してミクログリアが活性化し貪食される、
  2. 抗Aβ抗体がAβの一部のアミノ酸を認識して結合し、不溶化したAβを可溶化する、
  3. 末梢血中で抗Aβ抗体がAβと結合し血中Aβが減少することにより脳組織からAβを末梢血中に引き出す、

などが考えられています。このワクチン療法の有効性は、多数のグループにより追試され、脳内の病理学的所見のみならず学習記憶能力を改善することも確認されました。これらの所見に基づいて、欧米においてAβペプチド・ワクチンのヒトに対する臨床試験が華々しく開始されました。

しかし、このように注目されたワクチン療法ですが、第二相試験において1-3回のワクチンを投与したところで、約5%の患者で無菌性髄膜炎が発生しました。重症の障害を残す例も出たため、治験は頓挫してしまいました。その後の分析から、この脳脊髄炎はAβペプチド・ワクチンの注射によってAβに反応するT細胞が異常に活性化したため、脳内に炎症を生じたことがわかりました。さらに明らかになった重要なことは、ワクチン投与患者がなくなった後の検索で老人斑が明らかに減少していることでした。このことから、Aβペプチド・ワクチン療法は効果もあるが、副作用もあるということができます。今後、ワクチン療法を発展させていくためにはワクチンに大きな改良が必要であり、凝集沈着したAβに対する免疫反応は残した上で、脳に対する過剰な免疫反応をコントロールしていくことが課題と考えられるようになっています。

これらの情報に接した私たちはDNAワクチンなら先に述べた副作用を克服して、期待する効果をあげることができるのではないかと考えました。DNAワクチンは投与するとき免疫賦活剤を必要としないこと、1回の投与で長時間体内にとどまりDNAでコードされたAβペプチドを緩徐に作り続けるために過剰な免疫反応を避けられると期待したからです。なぜDNAワクチンが老人斑を減少させるのか、その仕組みを図にしました。まず、DNAワクチンを筋肉注射します。ワクチンは筋肉細胞に取り込まれ、Aβ遺伝子からペプチドが転写・翻訳されます(上段中ごろ)。ペプチドはさらにB細胞を刺激して、抗Aβ抗体の産生を促します。抗体はこの話の最初に述べたように、様々な仕組みで老人斑を減少させることになります。図下段に一つの治療例をお見せしますが、この例では未治療群の30%にまで老人斑を減少させることができました。

図 Aβ・DNAワクチンの働く仕組み
Aβ・DNAワクチンの働く仕組み

さて、治療の詳しい結果ですが、作製した非ウイルス性Aβ-DNAワクチンをアルツハイマー病のモデル・マウス(APP23 Tg mouse)に2週間に1度筋肉内投与して、アルツハイマー病の治療を試みました。このモデルマウスはスウェーデンの家族性アルツハイマー病家系にみられる遺伝子変異doublemutation(KM670/671NL)が遺伝子導入されており、6ヶ月齢から老人斑が出現し、加齢と共に増加することがわかっています。DNAワクチン投与後、マウスの脳を免疫組織化学染色し、沈着したAβを画像解析いたしました。Aβ沈着がまだ出現していない4ヶ月齢からワクチンを投与した予防的投与群においては70-90%、既にAβ沈着が認められた12ヶ月齢から治療的にワクチンを投与した治療的投与群においては50-60%のAβ沈着がコントロール群に比較し減少していることが確認できました。また脳組織内の炎症の有無を詳細に検討しましたが、Aβペプチド・ワクチンを投与したときに見られる炎症細胞の浸潤といった脳髄膜炎を思わせる所見はAβ DNAワクチンではまったく認められませんでした。さらにモデルマウスと同系で遺伝子操作を行なっていないマウスにワクチンを投与し、そのリンパ節細胞からT細胞を分離しAβペプチドへの反応性を細胞増殖試験で解析しましたが、抗原反応性T細胞の活性化は誘導されておりませんでした。これらの所見からDNAワクチンによる過剰な免疫反応は事実上まったくないと考えられました。

先に述べたように、今回製作したDNAワクチンはアジュバントなしで投与可能で、生体内でDNAから転写・翻訳されたペプチドが長期間にわたって産生されます。従って、ペプチド・ワクチンにて問題となった脳炎惹起性T細胞を活性化する可能性は低く、脳髄膜炎の発症を抑えることが可能です。さらに今回用いた非ウイルス性プラスミド・ベクターはウイルス性ベクターなどに比較し高い安全性が保障されており、ウイルス性ワクチンで考えられる予期しないウイルス増殖や白血病の発生の可能性を考える必要がありません。このように副作用が無く安全性が高い非ウイルス性DNAワクチンは動物実験で良好な治療効果が確認されれば、理論的には現在の形でヒトにすぐにでも臨床応用が可能です。今後は、

  1. ワクチン投与による認知機能改善の解析、
  2. ワクチン長期投与による安全性の確認、
  3. ワクチンの改良と投与法の検討、
  4. ワクチンの作用のメカニズムの解析、

などを行い、アルツハイマー病に対するDNAワクチン療法の早期臨床応用に向けて努力していく予定です。とくに、ワクチンを長期投与して、その安全性を確認することは重要です。現在、多数の通常マウス(この方が副作用が出やすい)にワクチンを長期投与し、T細胞を活性化しないか、脳炎を引き起こさないかを調べています。